日本統治 (日治) 時代から続く台湾の小学校「清水國小」に行ってきました

旅行





台湾の「清水」


今私が住んでいる台中市西部の大甲、大安から南方向に20分ほど車で移動すると「清水」という町にたどり着きます。日本語でも清水という名前は馴染み深いですが、中国語での発音は「Qīngshuǐ」で、歴史は中国大陸がまだ清の時代に入植が始まり、当時は清水の土地は「牛罵頭街」と呼ばれていたようです。その後、台湾は日本に統治されるようになり、「清水街」に名前が変更されました。

清水は当時の日本の影響が今でも残っている土地で、有名な観光地では見られない歴史の遺物を見ることができます。

参考サイト: (別タブで開きます) http://niumatou.taichung.gov.tw/intro01_3.html

清水には今回訪れた清水小学校の他に、昔日本によって建てられた清水神社の跡や、神社に続く石畳の参道など日本によくある光景が既に歴史になった光景を見ることができます。

また、最近は香港から台湾に移民してきた人たちが多く住んでいる町としてたまに清水ニュースで紹介されたりもしていました。

 

清水國小 (清水小学校)

車がない場合、下の地図にあるように清水に行くには台鐵 (臺灣鐵路) の清水駅に行くのが一番便利です。

今回訪れた清水の小学校の写真の一部がこちらです。台湾の人たちに日本語を覚えさせて「日本人」にするために明治時代後半に建てられたのがこの小学校で、現在も現役の小学校で日式の趣きある学び場として地元でも結構人気がある小学校らしいです。

休日に訪れたのですが、年配の方がボランティアの案内人をされていて建物について案内されました。去り際に「せっかく日本人が来たんだから」とその方が持っていたデジカメで記念写真を撮ってくれて、その写真を清水小学校のFacebookページにアップしたいと言って喜んでくれていました。

小学校に隣接されているこの建物は昔の寄宿舎として使われていた建物で、今は博物館として綺麗に管理されていました。

中は無料で見ることができ、当時撮影された写真やその説明を通して清水の歴史を学ぶことができます。

この小学校については台中が運営しているウェブサイトで概要を見ることができます。

参考ページ : https://www.tchac.taichung.gov.tw/historybuilding?uid=34&pid=80

  日治時期明治30年(西元1897年),日本人為使臺灣人學習本國語(日語),而於清水舊文昌祠舊址(今電力公司清水服務所)設立「臺中國語傳習所牛罵頭分教場」(清水昔稱「牛罵頭」,此稱呼源自平埔族),此為清水國小最初之創立,明治31年(西元1898年)獨立為「牛罵頭公學校」,大正10年(西元1921年)則改名為「清水第一公學校」,大正15年(西元1926年)設置高等科,昭和5年(西元1930年)因學生增加而教室空間不足,昭和10年(西元1935年)遷校至現址,昭和16年(西元1941年)又改名為「清水南國民學校」,民國34年(西元1945年)更名為「清水國民學校」,民國57年(西元1968年)改名為「清水國民小學」至今,目前校地面積共有40848平方公尺。

根據調查研究報告,昭和10年(西元1935年)、昭和14年(西元1939年)及昭和19年(西元1944年)分別編有預算執行「木造宿舍一棟二戶,三十坪」。宿舍之等級,校長宿舍屬於「高等官舍第四種」,估計坪數約32.3坪。

清水國小宿舍興建於昭和9年(西元1934年)以後,教室宿舍的建築形式係屬於「和洋折衷式」宿舍,為日治中、晚期日人「中流住宅」主要住宅型態。其在與外賓往來接觸密切的部分空間〈接待賓客之空間〉則採用西式空間與建築造型,頗具特色。戰後原清水公學校宿舍〈老師宿舍〉曾作為教師宿舍使用。

以下は google translate を使った翻訳文です。だいたい概要についてわかると思います。

明治30年(1897年)の日本の占領期に、日本人は清水(現在の電力会社清水サービスオフィス)の旧文昌寺跡に「台湾語学研修所ニウフトウ支部」を設立しました。 )台湾人が母国語(日本語)を学べるようにするため(清水は、かつて平水民族グループに由来する「ニウ・クオトウ」と呼ばれていました)。これは、清水小学校の最初の設立でした。明治31年(1898)「新国語公立学校」となり、大正10年(1921年)に「清水第1公立学校」と改称。大正15年(1926年)に高等教育を開始。昭和5(1930)、生徒数の増加により教室のスペースが不足していました。昭和10(1935)に現在の場所に移転しました。昭和16(1941)に、共和国では「清水南国立学校」に改名されました。中国34(1945)から「新水国立学校」、中華民国57(1968)では「清水国立小学校」と改称され、現在のキャンパス面積は40848平方メートルです。

調査報告書によると、昭和10(1935)、昭和14(1939)、昭和19(1944)では、「2世帯30pingの1つの木造寮」を実施するための予算が組まれていた。寮のレベル、校長の寮は「第4のタイプの高官官邸」に属しており、推定ping面積は約32.3pingです。

清水小学校の寮は昭和9年(1934年)以降に建てられました。教室寮の建築形態は「和洋折衷」寮で、日本人の中期・後期の日本人「中流住宅」の主な住居タイプです。職業。外国人客との接し方が多い部分では、ゲストを迎える空間は洋風空間と建築様式を採用しており、非常に特徴的です。戦後、元の清水公立学校の寮「教員寮」が教員寮として使用されました。

清水國小付近にある台湾小吃

清水の小学校を訪問する機会があれば、そのついでに試してほしい台湾グルメがこちら。

「蚵仔爹」と「肉爹」と呼ばれる食べ物で、中身は牡蠣か豚肉、ニラが入っていて、外側は瓜系の野菜をまぶしてかりっと油で揚げた食べ物です。台北や夜市ではあまり見ない台湾グルメで、こういう地元の食べ物に出会えるのは台湾の地方観光の醍醐味かもしれません。

台湾の地方観光に行ってみたい人にはおすすめの「清水」でした。

関連記事 : 台湾に今でも残る神社 苗栗の通霄神社に行ってきました

台湾に今でも残る神社 苗栗の通霄神社に行ってきました
先日見に行った「龍騰斷橋」に加えて他にも今住んでいる場所周辺で珍しい観光地はないかなと調べたところ、通霄神社という日治時代に建てられた神社が形を変えながら今でも残っていることがわかったので見に行ってきました。 通霄は「とんしゃお tong xiao」と読み、台湾中西部にある苗栗県の南部にあります。

 

<< Facebookページ いいねお願いします 😀 >>

<<ホームに戻る

 





この記事が気に入ったら
いいね ! してね

コメント

タイトルとURLをコピーしました