その①
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すくいあげ
はなのさきちる
わらはかな
いつかにおぼゆ
なにごころなきとき
「子供が桜の花びらを巻き上げて散らして遊ぶのを見た。この子もいつか無邪気だった頃を懐かしむときがくるのだろうか、と思いつつ自分にもそういう時分があったかと思い出す」というような心情を表せたらと思って作った短歌。
ちなみにこの詩にはBei Xuカバーの「童話 Tong Hua」が少し合うような気がした。
その②
はるつかた
またあったねと
きみがいふ
あふとちるらむ
まだあかなくに
「あふ」はめっちゃ色んな意味がある。「あった」「きみ」の捉え方で意味合いが変わるような気がする。「あった」が「発見した」の場合と「(人と)会った」場合、「きみ」が「人、恋人、密かに想う人的な人」の場合、「去年も見に来た桜の木」の場合、など。
ちなみに「まだあかなくに」は「名残惜しい」という意味。
その③
なりひらの
とうたこくうに
とぶとりを
うつすみなもに
うつろふさくら
隅田川にいる。その上空に飛ぶ鳥を隅田川の水面はゆらゆらと写していて、その水面にははらはらと散りゆく桜が浮かんで流れている、というような情景が連想ゲームのように思い浮かんでこないだろうか。
その情景に合わさって、なりひらがとうた、誰かの事を考えているような感じがする。なりひらと違って自分は「鳥に問うて」いないので、心の中で自分に問うているのかもしれないということが思い量られる。その心情と流れる桜の花びらが重なり、この情景を見ている人はどこか物悲しい感傷に浸っている光景が思い浮かべられる。
これは定番の在原業平の以下の隅田川での一句をもとにしている。
名にしおはば
いざ言問はむ
都鳥
わが思ふ人は
ありやなしやと
隅田川をゆく鳥に(というか自分自身)あの人は今どうしてるのかと問うもので、あまりに有名なので「隅田川」「なりひら」「みやこちょう」などが、このような心情や情景を表す単語になっているほどだ。
短歌の良いところの一つは、このようなあまりにも良い一句で人に浸透している句の一部を自分の句として import して使うことができるとこにある。
もっと短歌を作りたいのだが桜の季節にしかインスピレーションが湧かない。桜の影響は偉大だ。凡人を詩人にする。