サイトアイコン ぽずかふぇ@台湾

香港の歴史や文化をもっと知りたい人は行くべき、香港歴史博物館に訪問してきたので感想をご共有




香港歴史博物館

先日香港に行ってきた時に半日時間があったので、香港歴史博物館に行ってきた。旅行先でちょっと空いた時間があったらその土地の文化や歴史がわかる博物館に行くのおすすめ。

基本情報:香港歴史博物館
住所:100 Chatham Rd S, Tsim Sha Tsui East
営業時間:10時00分~19時00分 (定休日は火曜日)
ウェブサイト:https://hk.history.museum/en_US/web/mh/index.html

香港歴史博物館の常設展は以下の8つのセクションに分かれている。中華文化好き、興味がある人にとってはかなり楽しい知的好奇心を満たしてくれる展示になっている。

  1. 香港の自然環境
  2. 前史時代の香港
  3. 漢から清の時代の香港
  4. 香港の民俗文化
  5. アヘン戦争と香港割譲 (opium = アヘン、cession = 割譲)
  6. 香港の都市の誕生と成長
  7. 日本による占領
  8. 現代の都市と中国返還

博物館出口付近にあるお土産屋も香港ならではのグッズがいっぱい売っているので一度行ってみることをおすすめする。

香港の歴史

前史時代、香港にはもとも南越(ナンユエ)と呼ばれる人々が住んでいた。秦から漢の時代には漢民族が中国大陸中部から中国南部に移動し、その過程で漢朝の進んだ文化や技術が香港の地域にも輸入された。唐の時代には現在の広東省の北にある尾根が開かれ香港へのアクセスが良くなり、宋朝のときは珠江デルタが開発され香港の人口は倍以上になり、この期間に今の香港の下地ができあがった。

宋の時代に香港の新界地方に唐の人々が移住し、明清時代にはさらにおおくの民族グループが香港に移住することになり香港の経済活動が活発になっていった。展示では秦の時代から漢を経て清の時代までの歴史の流れがわかりやすく説明されている。

香港博物館の中で撮った写真はこちらにアップロードしたので見たい人は自由に見てください。(下記リンクをクリックすると別タブで開きます)

香港に昔からいた民族グループ

香港歴史博物館によると、香港に定住した民族グループは大きく分けて以下の4種類とのこと。

福佬人 (Hoklo)

福佬人はビン南語系の福佬語を話すグループを指し、香港の福佬人は広東地方からの人たちである。

香港の福佬人は他の地域の福佬人とは文化や服装が少々異なる。福佬人の女性は髪留めに気を配り、伝統的な衣装は色彩豊かなブラウスで袖が補足長く、ポケットがない。

また、福佬人は昔水上に暮らしており、結婚式のときはドラゴンボートに乗って花嫁が花婿の家まで行っていたことから、現在陸上に住む福佬人はこの古くからの水上の伝統を陸上でボートに乗っているように見せたドラゴンボートダンスを伝統的な結婚式の時に行うらしい。(その動画を見たら、おばちゃん達が道路で2列になりボートのオールを持って漕ぐような様子で花婿のほうに向かう、ようなダンスだった)

本地人 (Punti)

10-11世紀の北宋時代末に金からの侵攻を受け、中国南部に逃げたグループが香港に定住した。こういった人たちやその祖先のことを本地人という。

本地人は広東語の方言を話し、もともとは農民や地主、商人が多く、現在でも圍村(walled village)と呼ばれる地域に住んでいる。圍村(walled village)は城壁のような壁で囲まれている住宅地のこと。

本地人の文化は先祖への大切にし、一族共同の利益を大事にするもので、先祖を祀った廟が生活の中心であったりする。

 

客家人 (Hakka)

客家人(ハッカ、クジャ)はもともとは黄河周辺から福建、江西、広東地方に移動してきた人たちである。台湾の客家人は主に福建から来た人たち。

香港では客家人は1684年以降定住を開始したが、農耕に適した土地は全て本地人が定住していたので、高台の痩せた土地に定住することになった。

台湾の同僚や友人にも客家出身の友達がいたりする。客家語は発音を聞くと広東語に近かったりでそのルーツを考えると面白い。

水上人 (Boat Dwellers)

水上人は Boat Dwellerとも呼ばれ、広東語の方言を話し広東や広西地方で生活していた。水上人の祖先は戦争から逃れるために海側に移動してきた中国中部の民族だと言われていて、前史時代の広東広西地方にいた越人の子孫だとも言われている。

水上人は生活のほとんどを水上ボートの上で過ごし、漁業や牡蠣揚力、真珠貝採りや魚の塩干し、水上移動など海辺に関連する事業を営んでいて、地上に住んでいる人たちとはあまり関わらないようにしていたらしい。

第二次世界大戦時の日本軍による香港占領

今回の香港歴史博物館の常設展示の中でも一番印象に残ったのが、第二次世界大戦時の大日本帝国軍による占領時の香港の展示だった。

パールハーバーの奇襲から太平洋戦争の海戦をした大日本帝国軍はイギリス軍を抑え込むために、直ぐ様香港に向かいイギリス軍基地を奇襲で空爆、香港を占領した。

ここの展示を見るに日本軍の現地人の扱いは他と同じで酷かったようで、多くの香港人が大陸の故郷へと徒歩で帰れと追い出されたとのこと。

台湾の人たちが日本人が台湾を統治していたことを知っているのと同じように香港の人たちも日本人が香港という土地に侵略して占領したということは全員が知っている。現代の比較的若い台湾の人も香港の人も昔は昔のこと、として歴史と今の自分達を切り離して考えてくれるから人間関係に問題はないが、そういった歴史は日本人としては知っておくべきであると自分は考えている。

自分は日本を出て台湾で暮らし他のアジア諸国に行ったり(台湾、香港、マニラ、シンガポールの歴史博物館や日本軍が関係した場所を訪問したことがある)、そこで現地の人に話しを聞いたり、現地の友人を作り、本を読んだり、歴史博物館に行き多面的に歴史を学ぶと、日本国内の「日本像」は日本人によって作られたある種の幻であることにうっすらと気づいてくる。

人によって好みはわかれると思うが、普段生きている世界では知らされなかった現実を知れる良い機会だと思う。

現代

近現代の香港の歴史で語られるべき歴史的建物は「九龍城」である。

香港歴史博物館には九龍城に関する展示もあり、その始まりから終わりまでを知ることができる。今は解体されて存在しないが英国の租借から外れ、清朝の管理もされていない飛び地だったこの土地は最初は小さな村だったが、時代が進むにつれ難民が移住し要塞のようなスラム街になっていった。20世紀前半から現代に続くまでの近現代史に深く関係している。

ちなみに、お時間ある人は九龍城が舞台になっている小説「墓頭」おすすめです。

九龍城が舞台のピカレスクロマン小説「墓頭 (ボズ)」の紹介と感想
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});  関西国際空港から台北への帰りに空港の本屋でカバーに惹かれて手にとった本がこの墓頭。内容紹介を見ると「香港」の文字があったの...

スタンレーにあるお墓 赤柱軍人墓地

香港歴史博物館に行った後は香港に点在する

2017年に友達にスタンレーに連れて行ってもらったときに赤柱軍人墓地にも行ってきた。ここでは主に日本兵と戦った英国籍の兵士が眠っている。

その他にも日本の足跡を辿りたいひとはランカイフォン近くにある大館-古蹟及芸術館もおすすめ。大館は昔の刑務所で日本が香港を占領していた時代に日本軍が使用していた頃の展示物などもある。

アジア各国の歴史博物館や歴史を知りを巡ることで自分が生まれた国やその周辺の国々や人について多角的な視点を持てるので海外旅行の際はぜひおすすめしたい。

 

<< Facebook ページ いいねお願いします 😀 >>

<< ホームに戻る




モバイルバージョンを終了