台湾の妻の実家で見つかった古銭から台湾の歴史を考える (祥符通寶、乾隆通宝、嘉慶通宝など)

歴史





台湾の妻の実家で見つかった古銭

台湾の田舎にある外観赤レンガの一階建て古民家は宝の歴史的な宝の宝庫です。写真は妻の祖母がかつて住んでいた家の中を撮った写真で、昔の台湾の民家はコンクリート一階建て、家の中は靴を履いたまま入り、木で作られた椅子やベッドが置かれています。

以前ブログ記事で書いた「夕生 Halflight」という昔の台湾を描いたゲームの中に出てくるような世界観の家が今も台湾の田舎には存在します。

そんな昔の家で見つかった台湾の歴史を垣間見ることができる古銭をもらったので、ここで紹介したいと思います。

年代別に並べてみると以下のとおり。

  1. 1008-1016年、祥符通寶 (北宋時代に鋳造されたもの)
  2. 1736年、乾隆通宝 (清の乾隆元年に鋳造されたもので、裏側にくねくねした満州文字あり)
  3. 1796年、嘉慶通宝 (清の仁宗が嘉慶元年に鋳造されたもの)
  4. 1920年、中華民国9年の当時の総統である袁世凱が彫られたもの
  5. 1925~1935年、大日本帝国の10銭
  6. 1973-1974年、中華民国の1角と5角

ちなみにどの古銭も一つあたり現在の価格では高くても数百円程度でした。大量に持っている場合は大金が手に入るかもね。

古銭から見る台湾の歴史

一つ、思い出しておきたいのは「台湾」は日清戦争後の1895年から1945年までの約50年間日本が統治していた地域であり、その頃の歴史や習慣、言語は台湾に根強く残っているが、その後台湾の実効支配することになった「中華民国」は中国大陸で日本と苛烈な戦争をしていた政府である、ということ。ちなみに中華民国の成立は西暦1912年のちょうど日本では明治から大正に時代が切り替わるタイミングでした。

現在「中華民国」である台湾は戦後に共産党との争いに負けて台湾に逃れてきた蒋介石率いる国民党関連の人たちと、中国大陸が宋、明、清の時代に主に福建省から渡ってきた人たちの祖先で日本統治を経験した人たち、さらにはそれ以前のもっと昔から台湾島に住んでいる原住民の人たちがいます。他には私のような日本人や東南アジアから出稼ぎに来ている人たちなど。

そんな大きな人の流れがある台湾での新しい人や政治の流入が垣間見れるのが今回の古銭たちです。

「乾隆通宝」と「嘉慶通宝」はそれぞれ清の乾隆帝と嘉慶帝の時代に鋳造されたもの。清の皇帝一族は漢民族ではなく大陸北部の満州一族で満州語を使う人たちでした。その満州語が硬貨の裏側に彫られています。どんな意味なのかは調べてもわらかず・・・。

一番上にあるのは中華民国62-63年の1角と5角の古銭で、国民党政府が支配する戒厳令下の台湾で発行された硬貨。他にも大日本帝国時代の大正~昭和初期の10銭もあり、大日本帝国時代、昭和7年の10銭。台湾での日本による大々的な皇民化政策が始まる前に発行された硬貨です。

こちらは中華民国9年と15年に発行された硬貨。

中華民国9年(1920年)のは当時の総統、袁世凱 (えんせいがい) が彫られています。中国大陸での辛亥革命後に孫文を臨時総統として南京に成立した中華民国ではその数年後に、当時清朝の総理大臣で軍事力を持っていた袁世凱が中華民国側との密約として中華民国側に寝返り大総統になることで清朝はやがて滅亡しました。このあたりは多くのドラマがあり、袁世凱は中華民国が目指していた共和制 (国王や皇帝がいない国家体制) の方向性を放棄して自らをトップに帝政を復活させた人物でもあります。その後現在の台湾のお札には孫文が刷られているのを見ると感慨深いですね。(ちなみにこの袁世凱が彫られた硬貨は「袁大頭」といい1951年まで鋳造されていたようです)

あと、当時の孫文も袁世凱も、おそらく現在の中国大陸の政府も中国民衆の民度やコントロールのしやすさは一枚岩ではいかないことを今までの数千年の歴史から痛感していたようで、中央が強大な権力を持って民衆を率いていくという思想が自然なようです。孫文はアメリカのような連邦制国家を目指していたようですが。

中華民国15年(1926年)鋳造の右側の硬貨は「甘肅銅幣」で、こちらも大陸時代の中華民国によって発行されたものです。当時の価格で100文。

そして今回一番古かったのはこの「祥符通寶」というこの古銭。ヤフオクで見てみると一番下の文字がいくつか異なる古銭が見受けられます。ネットで調べると下の文字が「通」や「元」のものがほとんどなのですが、手元にあるのは下の文字が「丸」でちょっと珍しい?のかな。

「祥符通寶」はもとをたどると中国大陸が北宋時代の大中祥符という年号のときに鋳造された硬貨で、日本の長崎での貿易でも使われていた硬貨でもあります。

うちの妻は性が「易」で台湾では結構珍しく、もとは福建省から台湾に渡ってきた移民の子孫らしいです。調べてみたのですが、この祥符通寶がいつの時代に台湾に渡ってきたのかはわからずじまいで、もしかしたら北宋時代のこの硬貨を使って台湾の一部地域と貿易していたか、北宋時代に台湾に渡ってきた人たちが持っていたのか、明や清の時代に渡ってきた人たちが古銭として持っていたのか、どんな経緯でこの祥符通寶が台湾にあるのかご存じの方がいたらコメントいただければ嬉しいです。

ちなみにのちなみに、これは古銭とは関係なく歴史の話なのですが、親戚から聞いたところによると私の曾祖母の家系は鹿児島の樺山家らしく、「樺山」といえば日本統治時代の最初の台湾総督が樺山 資紀という人でした。樺山資紀氏は樺山家に養子に入った人なので、この樺山資紀氏と自分は直接的な関係はないと思うのですが、なんとなく気になり母方の家系図を確認したりしたのですが、男系の血筋が主に記されているので曾祖母以上の世代の関係は確認できず、いつかもっと詳細を調べたいと思っている最近です。

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